タッパーからはまだミニイカ娘の絶叫が聞こえていた。
私は始め元気の良い奴だと思ったが、しばらく経って少し様子がおかしいことに気付いた。
ミニイカ娘の悲鳴は「…っふ!あ゛あ゛あぁぁっ!!」「ぴい゛い゛ぃぃぃ~っ!!」
「あっ、あっ、あっ、げしょおぉぉ~っ!!」と奇声に変わり、タッパーをガタガタ揺らし続けている。
時折奇声が止むと、「ハッハッハッハッハッハッハッハッ」と犬のように過呼吸をし、
それに合わせてミニイカ娘の小さい胸が驚くほど激しく上下するのが見てとれた。
顔には生気が無く目は怯えたように見開かれ、辺りをギョロギョロ伺うとまたすぐに
「ハッハッハアッ…げ、げじょお゛お゛おぉぉっ!!」と突然絶叫して暴れ出す。
脱出も叶わず、懐柔策も通じず、ついに発狂してしまったようだ。
これは少し困った事態だ。
多少うるさくても構わないので、このまま何事も無ければ良いのだが、
タレで溺死したり小エビを詰まらせて窒息死する可能性もある。
私は今奴を出してやろうか思案したが、このまま放っておくことにした。
別にこのミニイカ娘が死ぬこと自体は大して問題ではないからだ。
仮に死んだとしても、冷蔵庫に入れれば鮮度を保てるし、タレも染み込む。
とりあえず12時になったらまた様子を見ることにし、私は悲鳴の上がるタッパーから離れた。
なんとなくミニイカ娘がタレの底の小エビに頭を突っ伏して死んでる姿を想像して、可笑しく思った。
一人で楽しそうに「エヘヘェ、ゲソ!ゲソゲソ♪」と私に笑いかけている。
こうしたやり方は如何にも人馴れしやすいミニイカ娘らしいな、と思いながら
私はサッとボトルを取ると、ぱくぱく開いたその口へ一気にタレを注ぎ込んだ。
「げそげガハアァッ!?」あまりに突然の出来事にミニイカ娘は驚く暇も無く、
そのままタレを直飲みしてしまい「ゲジョゲボォッ!!お゛ぅえ゛ッ!!」と激しくむせた。
タレを注ぎ続けると、上昇する水位に「あっあっあ゛っあ゛っ」とパニックを起こし、
ついには足を滑らせて「あ゛っげじょぉ゛っ…!!」と自ら溺れてしまった。
私は前回、ミニイカ娘がタレを飲むのに非常に長い時間がかかったことを踏まえて、
今回はちょっと背伸びをすれば簡単に顔を出せる水位で止めたが、混乱したミニイカ娘は、
掴まれる所を求めて両腕や触手をバタつかせながら、「…ガハッ!…っぉぷ!」と勝手に溺れている。
やがて私がゆっくり蓋を閉め始めると、それに気付いたミニイカ娘は慌てて
「げっ、げしょぉ~っ!!」と鳴きながら、バシャバシャこちらに駆け寄って来た。
蓋が閉まる直前、ミニイカ娘はその真下に到達し、「げじょお゛ぉ゛~っ!!」と
懇願するように、必死に両腕と触手をこちらに伸ばした。
私が蓋が閉めると、ミニイカ娘は「げじょおお゛ぉ゛ああ゛あ゛ぁぁぁっ~!!!」と絶叫したのだった。
私はわざと笑顔を作り、「うん、うん。そうだな」と大声で頷いてみた。
するとミニイカ娘は一瞬キョトンとしたが、言葉は分からなくてもその反応が
好意的なものだと理解し、途端に「ゲショ、ゲショゲショ!」と元気良く鳴き始めた。
それからミニイカ娘は「ゲソ、ゲソゲソゲソ!」と、私に話し掛けるように鳴き続けた。
私はそれに相づちを打つように、大袈裟に「うんうん」と頷いてみせる。
時々ミニイカ娘の鳴き声が途切れ、私の様子をちらっと伺うこともあったが、そんなときはこちらから
すかさず「うん、うん」とでも言ってやれば、またすぐに「…ゲソ!ゲソゲソ!」と調子を戻した。
ミニイカ娘は、私の機嫌を損ねまいと必死に盛り上げようとしていた。
緊張を隠そうとした固い笑顔を浮かべ、「ゲーソ、ゲソゲソォ!」と両腕をこちらに振り、
私が頷く度に、いかにも友好的に、楽しそうに反応してみせた。
…だが、そうしたやり取りが長く続くと、徐々にミニイカ娘は調子付いてきたようだった。
いつのまにか笑顔から不安の色が消え、「ゲーソゲソ、ゲソォ♪」と鳴いてリズムをとる始末。
私は頷くのを止め、真顔で眼下のミニイカ娘を見下ろし、観察してみた。
もはやミニイカ娘は私の態度を一切気にかけず、相変わらず「ゲソーゲソゲソ♪」と鳴き、
タレをちゃぷちゃぷ波打たせながら小さく跳ねている。
私を上手く迎合させたと思っているようだ。完全に調子に乗っている。
蓋を開け、ボトルを注ごうとすると、慌てた様子で「ゲソ!?ゲソゲソ!」と両腕をこちらに伸ばして手を振る。
何なんだコイツは?この期に及んでまだ何か策があるのか?
私は興味をそそられたので、タレを注ぐことを一旦止めることにした。
私がボトルを置いたのを確認したミニイカ娘は、不安そうな表情を浮かべると
「げそ、げそげそ…、げそぉ…げそげそ…げそげそぉ…」と、
私を極力刺激しないよう気を付ける様子で、ボソボソ話し掛けてきた。
コイツは何を言ってるのだろう?今さらただ"出してくれ"と哀願しているとは思えない。
そこで私は先程の様子を思い出してみた。もしかしたらコイツは、タレを注がれるのは
自分が悪い事(=脱出)をしようとしたことへの罰だと思い、それを詫びているのではないだろうか?
なおもミニイカ娘はボソボソと喋り続けていたが、その上目遣いの目は私の反応を必死で見逃さまいとしていた。
ミニイカ娘という生き物は、人間に匹敵するほど発達した感情筋による
豊かな感情表現を持つことで、他の動物とは大きく差別される。
それゆえコミュニケーション能力が非常に高く、人間を相手にもすぐに順応出来る。
時には人間が容易く迎合されやすい要素―おべっか、可愛いそぶり等―を見付け、
それを利用することを動物の本能で理解する。
私がこのまま永遠に黙っていてもコイツはずっとげそげそ言ってそうだったが、
私は観察のためにも、あえて反応を返してやることにした。
まだお腹が若干ゆるいらしく、タッパーの外からも聞こえるほどの音量で
ぐじゅるるる…と変な音がする度「げしょぉ…」と辛そうにお腹をさすっていた。
しばらく観察していて、ある疑問が浮かんだ。ミニイカ娘は脱出を完全に諦めたのだろうか?
ミニイカ娘は時折蓋を見上げると、何かを考え込むようにして私と交互に見渡す。
蓋へ触手を伸ばすこともあったが、大抵はそのまま何もしないで引っ込むか、
ちょこちょこ軽くまさぐって、すぐに私の方を見て引っ込めるかのどちらかだった。
やがては蓋も見上げなくなり、代わりに私の方をよく見るようになった。
やはり何か考えがあるらしく、私が何らかの用で立ち歩いてタッパーの近くを通ると、
「ゲソ、ゲソ!」と声を上げて呼びかける。
私ははっきり言って、タレを注ぐときと食べるとき以外に奴に構う気は全く無いので、
そのまま無視して通り過ぎるが、そうするとミニイカ娘は顔を動かして私を目で追っていた。
調子の良いミニイカ娘のことだ、どうせろくな事は無いのだろう。
夕方の6時になり、私はボトルを片手にタッパーへ向かう。
そこでミニイカ娘が何をしようと、タレだけは必ず注ぐ。私はそう決意した。
私がボトルを持って現れたのを見つけた途端「ゲソッ!?」と驚くと、
「あわわゎ…」とタレをちゃぷちゃぷ波打たせながら、逃げ場を求めて右往左往しだした。
私が封をベリベリ剥がすと、狭いタッパー内ではその音が大きく反響し「ひぃぃっ」と怯えて耳を塞ぐ。
蓋を開け、ボトルの口を身を竦ませて動かないミニイカ娘の頭上にロックオンする。
するとミニイカ娘が顔を上げ、「ゲショッ!?」とさらに驚いてその場から慌てて離れた。
タッパーの隅に移動すると、ピンとつま先立ちし、首を精一杯伸ばして顔を上げ水位の上昇に備えている。
私はゆっくりボトルを傾けて、いつもより静かにタレを注いだ。
タレは緩慢な速度でじわじわ水位を上げ、ミニイカ娘は必死に身体を上に伸ばしている。
タレが顎の高さまで達すると、ミニイカ娘は「んっ…」とさらに全身に力を込めた。
ぐぐっと必死に伸ばした首には血管を浮き、顔は紅潮して鼻息が荒く、頭がプルプル震えている。
やがてタレの水位が鼻の穴にかかると、それを鼻から吸ってしまい「ブゴッ!!」と汚い音を出し、
むせた拍子に足を滑らせて、お馴染みの通りタレにバシャンッと沈んでしまった。
私はそれを見届けると蓋を閉めて封をし、中の有様を見てみた。
今回の様子はいつもと違い、ミニイカ娘は金魚のように水面下で口をパクパクしている。
その表情は明らかにタレの飲み過ぎによる苦痛で歪み、時折つま先立ちで
無理矢理水面上に顔を出しては、「ずずっ、ずずずぅ~っ」と行儀悪くタレをすすっていた。
非常に長い時間をかけてようやくタレを適当な水位に下げたミニイカ娘は、とても苦しそうだった。
水風船のようにタプタプ膨らんだお腹を何度もさすり、時々タレを「げえ゛っ」と吐き出す。
思い出したように出口を求めて触手で蓋をまさぐりもしたが、やがてそれすらもしなくなった。
私がその場にいようがまるで関係無く、何とか脱出しようと常に足掻いている。
「ゲソッ!…ゲッソ…!」と呻きながら触手を蓋の隙間にグリグリ押し付け、
時々「きぃぃっ」と軽い癇癪を起こし、全身を使ってタッパーをカタカタ揺らす。
そのあまりに無遠慮な態度に、私は奴をタッパーごとブッ飛ばしてやりたい衝動を抑えていた。
怒りを紛らわすためにも、私はミニイカ娘の漬け込み具合やその他を観察することにした。
体の色に変化があるのかどうかは、タレの中なので全く分からない。
少なくとも顔色は、タレにほとんど漬かっていないので一切変わっていない。
昨日骨折した両手は今ではよくタッパーを叩いているので、一見回復したと思えたが、
よく見るとやはり曲げた手首の部分を当てるようにして叩いている。
腫れは昨日に比べて若干ひいてはいるが、指は曲がって半開きのまま固定してしまっていた。
特に目を引いたのは怪我をした三本の触手だった。
タッパーを撫でる十本の触手のうち七本は元気が良かったが、
この三本だけは他の触手と比べて、明らかに動きが弱々しかった。
最初の切れた二本は切り口からタレがよく染み込んだようで、先が茶色に変色しており
ミニイカ娘はその二本の先端を、起きてるときも寝るときも常に丸めている。
最後に千切れた触手も、ちぢれた先端によくタレが染み込んで茶色くなり、
タッパーを撫でる様子などモップがけをしているようにしか見えない。
ミニイカ娘もこの三本はこれ以上悪化させたくないようで、底の小エビを取る作業には絶対に使わなかった。
もし味見をするなら、この触手から頂くことにしよう。
私はそう思って時計を見遣り、12時になったのを確認するとボトルを取りに冷蔵庫へ向かった。
改めて確認するように、蓋とタッパーの境目を触手でまさぐったり、
タッパー内をぐるぐる周りながら両腕で全ての壁を叩いたりしていたが、
やがて「ハァ…」とため息をつくと、顔をうつむき、肩が小刻みに震えだした。
朝から自分の置かれた境遇を思い知らされて、絶望に打ちひしがれそうになる。
この無垢な心を持った小さくか弱い生き物には、あまりにも大きい重荷のはずだ。
その目に涙が溜まり、頬をつたって流れだそうとしたとき、
突然ミニイカ娘は両手首で目をこすって涙を拭き、頭を振って気を保った。
「…ゲソッ」と言って触手をタレに潜らせ、底の小エビを一心不乱に探っている。
食事で気を紛らわせるつもりだ。そうしなければ押し潰されてしまうのだろう。
本当にこの生き物は人間臭い。多くの人がそこに騙されてコイツを可愛がる。
しかしそれ故計算高く、厚顔無恥で傍若無人、人馴れすれば我侭も言いおべっかも使う。
その証拠に、ミニイカ娘は食事を終えるとしばらくは大人しくしていたが、
やがてそぉ~っと私の方をチラチラ伺い、触手でペチペチと音を出してみたり、
わざとらしく小声で「…げそ、げそ」と鳴いてみたりしてきた。
それでも私が何もしてこないと分かると、ミニイカ娘は出口を求めて再び
触手で蓋を内側から押したり、タッパーを叩いたりし始めたのだった。
どうやら、少なくとも脱出しようとする自分の努力は怒られない、と判断したらしい。
本当に呆れた奴だ。私は昼の12時にその考えを改めさせてやろうと思った。
大量のタレが頭上から勢い良く降り注ぎ、ミニイカ娘が悲鳴を上げると
同時に驚いた触手が背中からバッと広がった。まさに全身で目を覚ましていた。
その途端に山から崩れた小エビに足をすくわれ、タレに「ゲジョッ…!?」と沈む。
鉄砲水のように水位がぐんぐん上昇していき、パニックになったミニイカ娘は
見えない敵へイカスミを撒き散らしながら、「グアァッ…!ゴハァッ…!」と溺れている。
とにかく掴まれるものを求めて、水面上で短い両腕を必死にフリフリ、
徐々に深度の増すタレで踏んばれる底を探して、水面下で脚をバタバタ、
朝から期待を裏切らないその死に物狂いの様があまりに面白く、私は思わず笑ってしまう。
やがてタレを撒いて暴れていた触手が外に飛び出し、私はそれを掴んで放ると急いで蓋を閉めた。
昨夜の学習内容をもう忘れたのか、ミニイカ娘は長い間全身をぶつけて大暴れしていた。
水っ腹ではタレを飲むのは苦しいらしく、度々吐き戻しているのが確認された。
どれほどの時間が経ったのだろう、私が飽きて朝食を食べていると、
「…プハアァッ!!ゲジョッゲホォッ!ハァーッ…ハァーッ…」という解放の声がした。
私が様子を見ると、ミニイカ娘は充血した目を丸く開きながら荒く息をしていた。
やがて「うっ…うっ…うっ…」と顔を仰け反らせると、「ぉえ゛っ…」と
消化しかかった小エビの破片が混ざったタレを吐瀉物のように吐き出す。
鼻からはイカスミとタレの混合液まで鼻汁のように垂らし、非常に汚らしい。
あまりにも汚いので私が見るのも嫌でいると、ミニイカ娘と目が合った。
ミニイカ娘はこちらをじっと見て、何かを思い出そうとしているようだったが、
やがて辺りをキョロキョロ見回しながら、触手でタッパー内をツルツルとまさぐり始める。
どうやら昨日からの自分の仕打ちは夢だとでも思っていたらしい。
基本のんきな習性のミニイカ娘らしい、呆れた奴だと私は思い、その場を後にした。
時刻は6時、ミニイカ娘にタレを注ぐ時間だ。目覚めは最高に良い。
まずは自分のことを諸々こなすと、冷蔵庫からボトルを取り出しタッパーへ。
ミニイカ娘は昨夜よく眠れたかな?まだ起きてるかな?といらぬ心配をする。
もちろん、同情心など欠片も無い。
タッパーは静かだった。まさか溺れて死んだのではなイカ?この心配はするべきだ。
そっと中を見てみると、ミニイカ娘はタッパーの角に寄り掛かり、うつむいたまま動かない。
やっぱり死んでなイカ?いや、肩がゆっくりと上下している。眠っているだけのようだ。
ミニイカ娘がこの極めて寝苦しい環境でどのような手段を取ったのか、私は観察してみた。
昨夜は大分タレを飲んだらしい。水位は喉の高さにまで減っており、お腹がぽっこり膨れている。
底の小エビを一角に寄せ集めて山にし、その上にご自慢の十本の触手を丸めて重ね、
そうして出来た即席の背もたれに体を預けている。
なるほど、これなら角なので体が左右に傾くこともない。私は素直に感心した。
その寝顔は世間でよく言われる"可愛い"の評判にはちょっと遠いようだ。
目の下にはくまが色濃く浮き、頬もどことなくやつれて見える。
顔には睡眠の安心感が全く感じられず、まさに"泥のように眠る"ときの表情だった。
私はミニイカ娘を起こしてしまわぬよう、封をゆっくりと剥がした。
慎重に蓋を開け、中を覗き込むが、幸いにも目を覚まさなかった。
ボトルをミニイカ娘の頭上に掲げ、スタンバイOK。
寝起きドッキリの時間だ。私は囁いた。「(おはようございま~す)」。
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